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運命の人々
生を受けてから、半世紀が過ぎました。 私の年代の日本女性は、時代の変わり目の中で長い停滞と、自分の国の栄枯盛衰 両方を、 自分事として感じて生きてきたのではないかと思います。 高校生の時に いつも日本一の成績で東大模試に名前が載っていた 千春さん...
なぜ精神科医になったか
私は高校生のときは自分が医師になることを考えませんでした。私の身近な人で病気になっている人があまりおらず、医師という職業に親近感を持ちそびれていました。また元気な盛りの高校生としては、人間は病気になることがあるという発想はなにか人生のネガティブな面に対峙するような気がしてし...
医師となって最近思うこと
皆さん、初めまして。精神科医の野原千春と申します。普段は千葉県の精神病院で臨床をしています。医師になって20年近く、やっと医師の仕事にも慣れてきて、動じることも少なくなってきたのですが、ここまでくるのに紆余曲折がありました。私は医学部に入る前、東大で建築を学んでいました。建...


子育てひと段落 やっと言えるようになった言葉
”子育てと仕事の両立は本当に大変なんですよ” 子供が大学に入学するまでは、どうしても職場や転職の面接、プロジェクト案件の面談の場面で言えなかった言葉です。 外資系の日本法人に勤務していた頃、責任のある仕事や、ポジションにいた時には、...


医師になる道を選んだ娘へ
コロナ禍での初めての大学入試は昨年のこと。 共通テストなどの変更もあり、大変苦労した試験でした。 仲の良い優秀なご友人らも実力を出せずに浪人したりと、手放しに喜べないため、医学部2年生になった今、やっと家族もほっとしました。 保育園のころ、3歳くらいでしたか。...


女性の実力は、と言われたこと
監査法人に在籍していた時、かなりトップに近い方に 中途採用でとる会計士は女性のほうが優秀だ と言われたことがあります。 ところが、子供を産んで、転職活動をしていた時に面白いことがありました。 日系のエージェントさんには ”女性は自分の能力や実力を過大評価している人が多い”...
無欲の導く必然 その1
偶然という言葉が相応しいとは 思えない 出会い というものがあります。 以前、女性起業家であるフランス人にお目にかかったとき、 向上心という名のオブラートにつつんだ欲を持った私は、 その方に聞いたのです。 どうやって、このビジネスを発明したのですか? と。...


17歳の記憶
高校生の時。姉妹校である学校の友人と出会いました。 横浜という地方都市に、どっぷり漬かっていたいた私は、他の地方都市について、それほどの知識欲もなく、ただ、その土地の歴史に興味を持っただけの状態で、そこを訪れたのでした。...
2000年初頭に 保育園に通えたということ
2017年現在、私の子供は私立小学校の受験を経て、勉強に趣味に、と人生を歩んでいます。 私は、子供が生後4か月になったときから、保育園に預け、生後8か月でフルタイムの仕事に復帰しています。子供が生まれたときに、所属していた会社には、フルタイムで復帰出来ないと通知され、結婚し...
日本で、 女性として生きていくということ 3
戦後のキャリアウーマンの先駆けであった母が授かった子供は、何と二人の姉妹。 自分が男に生まれていれば、と、夢想していた母ですから、運命は意地悪なものです。 きっと男の子を育てたかったのではないかと、思います。 私と二つ年下の妹。...

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